雨葬
囚葬
忘葬
夢葬
血葬
殺葬
願葬
死葬
偽葬
祈葬
雨葬
茅葺きの屋根から雨垂れが降る。ぽたり、ぽたりぽたり、ぱたたたた。ある種響楽のような調子を釀すそれに、慶次はうすらと目を瞑った。ぽたた、足元で水溜まりが揺れるような感覚が昇る。
「蝸牛も、この季節は恋してるのかねぇ」
「そればかりでござるな」
上田城。
慶次は縁側で幸村を待っていた。慶次の言葉に呆れた幸村は、両手に茶菓子と湯呑を抱えていた。女給に持って来させないのは、幸村の気遣い故か、それとも雀のようにうるさいお節介な暖かい女給につつかれたくない故か。どちらもあるだろうなと慶次は湯気の昇る湯呑を受け取った。
「良いじゃねぇか。この世の花だと思わねぇか?華やいでさ」
「はぁ、」
未だ幸村は慶次がその話題に触れる度に、慶次を異端人のような目で見る。普段彼はそういった差別をしないため、余計に打撃がくる。けれども、顔を合わせる毎に殴りかかられ、口もきいてくれない当初よりは凄い進歩だと、慶次は思っているし、事実そうなのだ。辛抱強さは自分の美徳だと慶次は思った。恋愛の良さを理解してくれない相容れなさは、些か悲しいことだけど。
幸村は17歳である。思春期ならば色恋沙汰のひとつでも、と思うのだが、生憎幸村はそちら方面にはとんと免疫がない。戦に身を捧げ、尊敬する人間に心を捧げるその幸村の生き様は、傍目から見れば太く短く儚く美しい。慶次にしてみればそれは悲劇そのもので、幸村曰くの「お館様」を恨む。何故もっと全うな人生を択ばせてやらなかったのかと。
「幸村は、良い人見付ける気はまだないの?」
「しつこいでござる慶次殿!某は生涯、お館様の下にて生きる覚悟にござりまする!そんな、恋など!」
反応は奥手の人間止まりだが、融通のきかなさは天下逸品だ。慶次は幸村をそう評する。でなければとっくに慶次に懐柔されているだろう。手強い。慶次は難攻不落の要塞(四国にそんなようなものがあった気もしないでもないが)を落としているような楽しさがあった。
「破廉恥である!」
「一般男子はそうなの」
「…では、某は一般ではないのでござるか?」
ふと不安そうに見せた影に、おやと慶次は眉を上げた。何か言われたのだろうか、傷を掻いてしまったかと急いたことに慶次は舌打ち。そうだ相手は17歳。
「俺は幸村が一般だろうとなかろうと、どっちでも良いけどさ」
口にしてから慶次は今更失言だと気付いた。幸村は仇を見るような目で慶次を睨めつけていた。嗚呼折角築き上げてきた友好という二文字ががらがらと崩れていく。
雨は降り止まぬ。
囚葬
おぉにさぁん こ、ちら てぇのなぁるほぉぅへ
嗚呼子供が足元を這い笑った。
『あなたもお武家の方?』
『うむ!今は未だ弁丸と申すが、元服すれば名を改めることにあいなろう!』
『弁丸…をのこの名のままなのね』
『? そういえばそなたの名は何だ?』
『私?私は、姫和子、と呼ばれています』
『なんと!奇遇にござるな。某も時折虎和子と呼ばれておる』
『虎…格好良うございますね』
『それほど誉めるものでもない。皆が親しみを込めて呼ぶ字だ』
憎しみに満ちたその顔に、幼子は何を思う。
おぉにさぁん こ、ちら てぇのなぁるほぉぅへ
きゃははは、きゃははは…
嗚呼止めてくれ。甲高い子供の声を、誰か止めてくれ。蹲り、耳を塞ぐ。
離れているから辛うじてこの状態を保てるのだ。それを理解しているが故、次という約束が辛い。逢瀬の余刻はあまりに少なく、されどだからこそこの細い繋がりが活きている。
坩堝に嵌りそうな危うい感覚に、幸村は酷い浮遊感を感じた。
『姫和子と呼ばれ座間へ縛りつけられた俺が一国の主なんて、皮肉なもんだな。え?真田幸村』
私は、姫和子、と呼ばれています。
蘇るのは、片目を隠した顔と、柔らかそうな銀髪。やけに着物の紫色が目に焼き付いた。
おぉにさぁん こ、ちら てぇのなぁるほぉぅへ
きゃははは、きゃははは…ふふ…あはははは、
笑うな。笑うな。耳に障る。子供の、自分を嘲笑う白い目がこちらを向く。何故気が付けなかったのかと、笑う。
目を閉じる。脳裏にうつろう男が一人。彼が笑う。嘲る。
私は、姫和子、と呼ばれています。
座間へ縛りつけられた俺が一国の主なんて、皮肉なもんだな。
彼は束縛感を感じていたのだろうか。
胸を擽る未知の感情が胸を圧迫する。溢れない限りは、大丈夫。幸村は安堵した。大丈夫、まだ捕まっていない。
おぉにさぁん こ、ちら てぇのなぁるほぉぅへ
『田舎者がよ』
つ か ま え た 。
幸村はまだ気付いていない。気付けていない。
忘葬
さてと、と佐助は服を着替えた。黒っぽい服。いつものフランクな格好とは違い、改まった洋服。
まるで喪に帰すような。否、実際そうなのだけれど。
壁にかかっている時計で時刻を確認し、財布の中身を数える。昨日はバイトの給料日だったから存分にあるなと思い、バイトの帰りに駅前の深夜帯まで営業している花屋で買った花束を用意する。
何と勘違いしたのか、笑顔の眩しい店員は、取っ手に鮮やかな朱のリボンまでつけてくださった。持って帰るのが凄く恥ずかしかったし、何より彼女にあげるプレゼントではない(そんなものもいない。誰かに操立てしているわけじゃあ、ないはず)。気もそぞろに店員の勧めに頷いてしまった自分のせいでも、一部あるけれども!嗚呼自分の馬鹿。百合なんて縁起の悪い花なんか買って。抜いてしまおう。
佐助は幾重にも重なった薄いラップの包みから、七分咲きの白百合を抜き取った。誰にあげよう。伊達辺りで良いか、首が早く落ちるように。
時計が50分を指す。バスは後数分で来てしまう。白い紙袋に花束を入れ、家を出た。戸締まりは忘れずに。
ゆらりとやってきたバスのステップに足をかけると佐助は、色とりどりな服装を着ている現代人から孤立するような、自分と同じく黒装束を着た旧知を見つけた。
「よう、眼帯兄弟」
「一圓にして呼ぶの止めてくんねぇか?こいつと兄弟なんて虫唾が走る」
「だって呼び易いんだもん。はい伊達ちゃんにプレゼント・フォー・ユー」
「男なんかからプレゼントもらっても嬉しかねぇよ。しかもこれ百合じゃねぇか」
右目に眼帯をかけている男、伊達は佐助が渡した百合を突っ返してくる。笑って佐助はそれを紙袋に戻す。ラッピングされた、花束の脇へ。
吊革から手を放していた左目に眼帯をかけている男、長曾我部は、急発進したバスに振られ、佐助の視界から一瞬消えた。ぶつぶつ文句を言いながらも手を吊革へやる長曾我部に佐助はまた笑った。
結構な混み具合のバスは、ゆるゆる走り出した。
「毛利の旦那は?」
「来れないって。花預かってきた」
長曾我部は袋を手に持って揺らす。中には、縁起の悪い花などひとつも入っていないだろう。彼は律儀だから。
真新しい街中で下車した佐助ら黒ずくめの集団を見ると、街の人間は最近死亡事故なんてあったっけと囁いた。佐助は一種軽蔑するような目でそれらを見る。伊達や長曾我部もそれは同じだろう。何も知らない人間ら。そんな含意の目で現代人を見ているのだろう。
ガードレールに各々の手向けを置く。勿論ガードレールに歪みや傷などついていない。ここは数年前に開拓された都会なのだから。
伊達の持ってきた甘味に呆れながら、あの人喜ぶだろうなと納得する自分がいた。
「また、来ちゃった」
よりによって、何故この輪の中にあなたがいないのだろう。
何年前か曖昧になるほど、遠い昔に果てたこの花束をくくる朱より艶やかな紅を想う。
忘れることを、葬る。
夢葬
酷く愚かで無知な頃、自分は世の中で一番自由だと思っていた。今振り返ればなんて甚だしい勘違いかと憤りを感じるが、けれどもあのとき胸を満たしていた充実感はそれなりに捨て難かった。もう戻らない幼少の頃。さらば幼年期と手を振る。
そういえば、まだ幼名を名乗っていた時分に、とある姫御に出会った。日に当たったことすらないのでは、と思わせるほど白い柔肌に、思わず目がくらんだのを今でも覚えている。最初の失態だった気がする。
紫の眼帯(その趣味には些か首を捻るところだが目を瞑るとして)で左目を隠し、髪を高い位置に結ったそれは、自分に鞠を渡して遊ぼうと言ってくれた。そっけなくはねつけたときの落ち込み様には、多少胸が痛んだが。
それから縁側に二人で並ばせられて、質問攻めにされたような。四国という閉鎖的なところでは情報の枯渇も侭あるのだろう。懇切丁寧に教えてやると、目を輝かせて聞き入った。その素直さには目も当てられなかった。
話を聞かせているのはこちらなのに、あれの様子を見ていると何故か断絶されている気分になった。まさに、今の感情を殺している自分は、囲われたちっぽけな子供に過ぎない。
素直な姫御よ、そなたはどうか変わらずに。
そう、思ったというのに。
「おう元就こっちか」
「…貴様また勝手に入ってきたな…」
「だって開いてたから」
何をどう間違ったのか、あの姫御は自分の背を凌駕する精悍な男になり果てていた。海賊だか山賊だか知らないが、財宝めがけて四国を平定したらしい奴は、紫の眼帯だけが変わらない。
いっそのこと、不法侵入を繰り返すけしからんこいつの存在が、霧のようにあやふやになってしまえば、あの頃の可憐な姫御は我が胸にずっと住み続けてくれていたのではと思うと、今からでもこいつを消すのは遅くないと感じるのだが。
「まあまあ、そう言うなって。旨い酒見つけたからよ」
時折見せるこいつの中の姫御の名残に、今も心を決めかねている優柔不断な自分が憎い。
血葬
熟思う。この人は、嗚呼この人は戦で死ぬために生きているのだと。
主のために討ち死にするのは武士の誉れだと、彼は胸を張って言うのだろう。にこりと、否、戦場に生きる男らしく豪と笑って言うのだろう。「俺は本望だ」 嗚呼吐気がする。
忍は影で生き影で死ぬのが掟だ。主に自分の死体を見られてはならない。弔われてはならないのだ。泣かれるなどもっての外だ。己の主は、側につかえていた人間が不意に死んだら、泣かないなんて器用な真似など決してできやしなかろう。だから死ねない。
長い間ずっと(彼も自分も)死なないように、彼の闘い振りを見てきた。
彼は、強い誰かと刃を合わせると、酷く愉しそうに顔を歪める。本人は笑っているつもりなのだろうが、佐助には、歪に顔を曲げたいつもの主に見えた。あれこそが、物事を本気で楽しむ主の嘘偽りなき顔なのだと知ったとき、佐助は強く戦慄した。この人は戦で死ぬために生きているのだ。
もし彼と自分が敵同士で相対したときは、彼は顔を歪めてくれるだろうか。愉しそうに。武者震いが起きた。
浴びるように敵将の血を被り、雄叫びを上げて、彼は進む。自分は後ろに立ち、彼の取り溢しを処分する。背中で向き合い、背中を預けるこの関係が、心地好い。もしこれが彼でなかったらと想像し、恐怖におののいた。嗚呼なんてことだ。主に入れ込んでしまった。忍らしからぬ感情が、苛み責めた。
血色の色に塗り潰されても尚、色褪せない真紅の炎が己の胸を焼き焦がす。嗚呼世界はこんなにも真っ赤で鮮やかで、仮に死に際の世界が網膜に焼き付くというのなら、喜んでこの紅を焼き付けよう。そして安堵するのだ。
埋没する、沈殿する、数多の命。彼らも網膜に紅を焼き付け、沈んでいく。
「嗚呼ッ!」
狂喜するように彼は叫ぶ。赤を纏い、赤を被り。その様をただ自分は後ろから見ている。
この人は戦で死ぬために生きているのだ。嗚呼、血色が赤を際立たせる。彼だけが一際鮮やかに、赤を翻させる。鮮やかな艶やかな彼。自分の、だいじなあるじ。
どうかこのまま後ろを振り返らないで。影に隠れている自分を見付けないで。置いて、いって。
彼の赤はとても明るく、まるで日溜まりのように暖かで、醜態を晒す己には酷く眩しくて、そう、とても残酷だ。
ごめんね。
空の紺碧より、茶けた地面を覆い隠す死体と死体と死体の山より、地から立ち上る血臭より、アンタの方が恐ろしいと一瞬でも思った俺を赦して。
殺葬
人はこれを、一種の独占欲であると宣う。
自分や他者が真田幸村という人物を鑑賞することができても、彼は無様な自分を見ることができない。それが酷く哀れなことのように思えた。
人はこれを、一種の独占欲であると宣う。
Oh good bye days、I became deadman that living since today!
I got back beautiful fuck the woooooorld!
I scream!I keep screaming to the world!
My body′s core is emptiness!
shall we dance!Let′s party till madness!
刀を振るう。血潮が散る。鼻唄を吟うように、人を殺す。その手に握られているのは、彼と同じく他者の命を奪う側の人間であることを、小十郎は知っている。憐れみも感じない。寧ろ嫌悪感で一杯だ。主の戯れとは理解していても、やはり納得は出来ないしその真意に同意することは、有り得ない。武田の軍人に、彼の同門を殺す様を見せ付けるなど。
見れば赤い装束を着た件の軍人は、涙に汚れた顔で怯えたように小十郎の主を見ていた。これでも目一杯抵抗した後で、けれど一度掴まれたら片手に三本も刀を抱える主から武器も無しに逃げられないと学習したのか(小十郎にはそれさえ驚きだ)、引きずられるままにされている。
He hates me…but I don′t care about it!
Because I was caught him into my hand!
HA−HA−HA−!
彼は怯えている。訳のわからない異国語を口走りながら愉しそうに人を斬る主にか、酷く怯えている。
彼につかえていた忍は既に主の手にかかった。それから彼は酷く主を睨んで槍を向けたが、仇をとることは適わなかった。未だも抵抗する彼にとどめをと、主は彼の敬う人間の首を落とし、片っ端から斬って捨てて見せた。彼は泣きじゃくり、主を罵った。主は、それはそれは嬉しそうに笑った。今もそうである。
何故こうなったのだろうと小十郎は掃討を続ける。思えば、主が彼の強靭さに惹かれたからだろうか。小十郎はため息を吐いて怯える彼を見た。憐れみなど、感じない。
人はこれを、一種の異常な独占欲であると宣う。それは強ち間違っていないと、思う。
小十郎は壊れていく幸村をただ無感情に見ていた。
願葬
おや珍しい。
佐助は思った。
縁側に大の字で無防備に眠っている主を見つけたのだ。日の出と共に起床し、日没と共に就寝する、まるで良い子の鏡のような生活を送っている主が、槍も持たず団子も食わず、昼寝にいそしんでいる。これは大変珍しい。
昨夜はいつもと変わらず早寝だったはずだ。佐助は顎に手を当ててふむ、と頷いた。
「そういえば今日は、ちょっとあったかいねぇ」
朝はまだ少し冷えるが、もう春も終わりだ。日が長くなり、強くなる。
佐助は幸村の顔を覗き込んだ。瞼越しでも影がかかったのはわかるのか、眉をぴくりと潜めるが起きる気配はない。
17歳にして未だに未婚であることはこの時代では稀有だが、佐助はそれを安堵した。既婚ならば、例え自らお抱えの忍だろうと、こうも無防備な寝顔を晒してはくれないだろう。妙なものを背負う代償に幼さが消えるというのなら、佐助は幸村にまだ婚姻を契って欲しくはない。そう思うこの感情は単純な独占欲なのか子を案じる親の心か。幸村の代わりに妙なものを背負い込んだような倦怠感に、佐助は肩をぐるりと回した。
「…どうしたもんかねぇ、俺様も」
彼に対する己の思いや視線。確実に、変わってゆくそれ。変わったら何かが欠損するのではないかと危惧する。じわりとした生温い侵食に怯える。
(…意外や意外、旦那ってば結構手大きいんだ)
槍を振るうのだから当たり前なのだけれど、自分より低い位置にある頭や、幼稚臭い言動や気性、佐助はそれに騙されていたことに、はたと気付かされた。改めて感じる違和感に、佐助は幸村をまともに見ることができなくなっていた。眇めるほど無垢で残酷な幸村は、人の命を奪う側に立つ人間には到底見えない。
これはどうしたものか。
その手で引頭を渡す幸村の血をあえさせる哀痛とした顔も、強い人間と戦っているときの熱に浮いた顔も、傍にいてずっと見てきたというのに。
(旦那も、17歳の男だもんなぁ。もうちょっとしっかりして欲しいよ)
青色吐息を吐き出すも、いつまでも頼って欲しいと頭のあいろこいろで思うが。頼られなくなったら、自分はどうするのだろう。佐助は少し考えた。はっきりとしたものが見えなくて、嗚呼想像は無理なのかと思うほど、佐助は幸村に依存していることだけを思い知らされた。なんて厳しい世界。だから嫌いなんだ。
「ほらほら旦那起きて。寝るなら布団敷いて寝なよ」
この人が生きている世界とは、どこか別に確立してるこの世界なんて、大嫌いだ。
死葬
満身創夷なアンタは。
『これこれ、この傷。このときは大変だったな』
『そうだねぇ、夏だったから腐る前に焼かなきゃいけなかったんだよね』
『もう二度と経験したくない』
『誰だってそうさ。トラウマになってないアンタの方が実はおかしいんだよ』
『失礼な。人を変人呼ばわりするな』
『へぇへぇ』
『佐助!』
『背中の傷もまだ消えてないねぇ。いつだったっけ?』
『元服する前だったからそんなに昔じゃないぞ』
『そんな最近だった?あんまり記憶にないなぁ』
『健忘症か?』
『殴るよ』
『しかし、これは死ぬかと思った』
『木の枝に背中ごっそり持ってかれたんだっけか』
『もう木登はしない』
『少しは落ち着きを持ってよ』
『そんなものは知らぬ』
『団子無しな』
『横暴だ!職権乱用だ!』
『こんな職権ねぇよ!』
『む…しかしお前も負けず劣らず傷だらけだな』
『当たり前でしょ。一応俺様も忍よ?そりゃあ大変なことばかりしてたし』
『今は?』
『んー、楽っちゃあ楽ですけど…アンタのお守りは案外手かかるし何でか食事の世話もしなきゃいけないし…忍の使い方間違ってない?』
『使い方など適材適所だ』
『うっわ、旦那が頭良いこと言ったよ。言ってることは独裁的だけど。今日は赤飯かな』
『赤飯は好かぬ。小豆なのに甘くない』
『いや旦那、別に小豆は甘いもんじゃないんだけど…』
『おはぎは甘いじゃないか。ぜんざいも汁粉も』
『甘くしてんのあれは』
『とにかく、夕飯に赤飯は嫌だ。鯵が食いたい』
『自分で言ってよ。俺様連絡係じゃない』
『むう。忍の癖に』
『やっぱり忍の使い方間違ってるよ。寧ろ忍に対する認識が間違ってるよ。暗殺とか諜報とかが仕事なんすけど』
『与えてるではないか。暗殺も諜報の仕事も。不服か?』
『いやそうじゃなくてですね、ああもう面倒な』
『丸投げしたな』
『悪かったね。俺様だって旦那に懇切丁寧に忍の存在意義を教えるほど暇はないの』
『縁側に座って、何か忙しいことなんかあるのか?』
『痛いところ突くなぁ。確かに暇だけど』
『佐助』
『何?』
『団子の話したら団子が食いたくなった』
『…で?』
『皆まで言わせるのか?団子が食いたくなったんだ』
『…あのですね旦那、忍ってのは』
満身創夷なアンタは、だけどやっぱりこの時代に必要な人なんだから。
「死んだら駄目だよ」
映像が途切れる。
偽葬
佐助は、鍬を置いて振り返った。時折こうして彼がちゃんと居るかを確認するのだ。
彼は大人しく近場の切株の上に腰かけていた。振り返った佐助に手を振っている。悠長な。そう思いながらも佐助は手を振り返した。彼は嬉しそうに笑う。
顔の右を覆う傷となくなった左足と傍に置かれた自前の杖が、とても痛々しかった。それを言うと彼こと幸村は、苦々しく顔をしかめるのだけれど。
武人としての真田幸村が死んだのは、もう随分と前だ。片目片足を失い、杖無しでは歩けない真田幸村は、武人としての生命を絶たれたものと同じにある。
今は甲斐でも奥州でも信濃でもない山間のほったて小屋でひっそりと暮らしていた。幸村一人では侭ならない暮らしも、佐助が賄っている。そんな佐助は密かに各地の様子をかいつまみ、幸村に教えているのだが、その度に淋しそうな顔をする幸村は情苦しいことこの上ない。一線を退いたといっても、戦好きの本質は何ひとつ変わっていないのだ。変わらない幸村の、けれど戦いに行けない葛藤と生殺しにされる様は、残念ながら佐助の治められる範囲にない。情苦しいこと、この上ない。
だから時折幸村を見返し、その姿の存在を確認する。目を放した隙に、杖を槍代わりに戦場に体を引きずって行ってしまうのではないかという、無視できない可能性を否定するために。
「今日は、何食べようか」
「あけびが生ってればなあ、」
「はいはい、甘いもの好きは何があっても変わらないね」
「…お館様は如何お過ごしだろうか」
佐助は鍬を振るった。
懸想する幸村の邪魔を、してはいけないと知っているのだ。邪魔をしても、幸村は怒らないのだが、酷く落ち着かなくなる。甲斐へと小屋を飛び出そうとするのを、佐助は何度止めただろうか。少なくとも片手の指では事足らない。
そして佐助はもうひとつ知っている。幸村の想う先は既になくて、代わりに信濃の軍神が甲斐を治めているのを。佐助はそれを決して言わない。幸村が大人しく聞くとは思わない。
幸村に、死に逝くような真似を、して欲しくはないのだ。
随分と精神的に忍から離れてしまったと、佐助は青い空を見上げる。鳶が甲高い声を上げて鳴いていた。もうすぐ冬が来る。雪が、この山を覆う。
幸村も空を見上げていた。彼の顔に縦一文字に顔走る傷。眼帯をしたらどうだと推奨してみたら、どこぞの奥州筆頭みたいで嫌だと言われた。それだけが、佐助を安心させた。
祈葬
イヤホンから流れる音楽は、悪友から流行りだと聞いて借りたものだ。特に感銘を受けることもない、そこら辺でよく聞く、ありふれている特徴のない声だった。最近の当たる曲というのは共通して歌詞が良いものだと、伊達は思う。名も知らぬアイドル(直訳すると偶像崇拝。言い得て妙である)の、喉から捻り出したような不快な潰れた声から耳を放し、伊達はプレイヤーの電源を落とした。
元親の奴、どこが良い曲なんだと悪態を吐く。完全にありきたりな片想いを吟った曲に苦虫を噛み潰したような後味の悪さに、伊達は乱暴にプレイヤーを投げる。投げられた精密機器が、がしゃんと音を立ててベッドの上で跳躍。中身が弾け飛ぶ。ジャストヒット!壁に当たって跳ね返るMDに、借り物だということを忘れて、伊達は口笛を吹いた。
伊達は色恋の話(と言わず噂までも)が苦手である。自分の現状をまざまざと、懇切丁寧に教えられているようで居堪れないのだ。
携帯電話が突如としてぶるぶる震え、伊達はそれの出す細かな震動に一人驚き、ちょっぴり躊躇いながら電話を取った。
着信、真田幸村。伊達の想い人である。
この、姓名共に名字のような印象を受ける彼は、伊達の母校の生徒だ。とどのつまり後輩。実直にして単純明快なめでたい思考回路の持ち主で、何故あんな学校に行けたのかは伊達の永遠の議題である(互いの名誉のために注釈を入れるが、伊達、真田が通う学校は市内一難関校なのだ)。
メールでも彼特有の『ござる』口調を崩さず、けれどメールで語らうには些か下らない内容を送りつける彼からの着信は、とても珍しいものだった。
「もしもし」
『あ、伊達殿!おはようござりまする!』
「…俺の携帯の時計が狂ってなけりゃ、今は昼だがな」
『あ、申し訳ござらん!某、寝坊をしてしまい、伊達殿との約束の時間に遅れて…』
「…What?」
『だから、昨日伊達殿と、新しくできた甘味処に行くと…そ、某が遅刻したことを怒っておられるのか?』
伊達は急速に自分の顔が青ざむのを感じた。そうだ、あまりに伊達が落ち着かないからと元親が件のMDを寄越したのだ。今から行くと電話に叫び、上着を羽尾って部屋を飛び出す。
元親の野郎!あいつのMDなんて二度と借りねぇ!伊達は固く誓った。
間に合ってくれ!懇願が届いたかは神のみぞ知る。