人間なんか誰でも、どうせ死ぬんだから。何も自分で死ぬことはないよ。
*
伊達に降れよ。
そう言ったとき、自分がどんな奇妙な顔をしていたか、残念ながら政宗は見られなかった。しかしそう言われたときの、幸村の顔は、手酷く傷つけられたような顔をしていた。
「何故そのようなことを仰有られるのでござるか」
「わっかんねぇよ、なんとなくだ」
言葉に嘘偽りはない。政宗にしてみれば、幸村の顔を見て、ふと思ったままを口に出してみただけなのだ。幸村がそれをどう受け取ったかは、無責任にもよくわからないけれど。
秋。
今川を屠り、勢いに乗る織田への警戒と、実りの収穫に領民を専念させるため、暫し武田は伊達に対する臨戦状態を解いた。冬に向けて穀類を貯蓄したいと画策していた伊達はまさに望むところで、互いに大した盟約も取りつけず、暫時向けていた武装を割いた。ただ、形ばかりの朱印状を持たせるのは、真田幸村が良いと、伊達の方が少しの我が儘を言っただけである。果たしてそれは叶えられた。幸村が朱印状を携えて、遥々甲斐から奥州の米沢城までやってきたのだ。
奥州までの道中はどうであったと政宗が由無し事を問えば、幸村も紅葉の叙景が実に美しゅうござったと柔らかく返していたのに、政宗が突如そう切り出してからは、心なしか辺りの空気も重い。幸村の供回りは幸村がどう返すのか気が気でなかったし、傍に控えていた片倉小十郎は眉を潜めて険しい顔で主の顔を眺めていたし、何やら天井からは小さくため息を吐く気配がした。そうした諸々の反応を一頻り把握した上で、初めて冒頭の会話の火蓋を幸村は切ったのだが。
「な、なんとなく、でござるか…?」
平伏した姿勢から中途半端に体を浮かした格好で、幸村は呆れたような面食らったような複雑な顔をしてみせた。
「Yes、なんとなくだ。理由なんざ、アンタほどの武人をみすみす亡くすのは惜しいだとか、俺と決着付けないまま他の奴らの手であの世への引頭は渡されたくねぇだとか、まあ、挙げればきりがねぇ」
ともすればどうでも良いことにもとれなくもないが、戦の大半の熱意と殺意を互いに寄せる間柄と考える幸村には(例え見る世界の狭さをひけらかしたって)、それはそれは重要な言葉だった。
「そうでござったか!」
喜色満面な顔をして、後ろ髪をひょこんと跳ねさせ、そして幸村はうん?と首を傾げた。頭の悪いその動作のいちいちが子供のように幼い。政宗は思わず口元を緩めた。
「それと某が伊達に降るのと、どう関係がありましょうか?」
「nonsenseな質問をするなよ!」
「なん…?」
眉を潜めた幸村だったが、笑い飛ばした政宗の態度であまり良い言葉とはないと察したのであろう、きゅっと口を引き結んで政宗を睨み上げた。
「某を無知と思うてからかわないで下され!」
「仕方ねぇじゃねぇか。勝手に死なれるこっちの身になって考えてみろよ」
「某は死にませぬ!」
売り言葉に買い言葉、と熱くなりかけた幸村へ政宗はにっと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「Okay、今の言葉、偽りはねぇな」
「無論、できぬことなど某口には出しませぬ」
「信玄公の上洛もか?」
「愚問にござる。お館様こそ、天下泰平に相応しきお方」
「Ah、その話は長くなりそうだから、また今度な」
揚げ足もわからず真面目に返してくる幸村の話に付き合うのは、存外疲れる。適当にあしらうとしつこく食い下がり、きゃんきゃん耳元で喚き立てるのだ。まるで構って欲しがる子犬のようだと政宗は嘆息した。
「今日はもうおせぇ。鬼兵や野党に襲われたとあっちゃあ伊達の面目も潰れちまう。出立は明朝で良いな?」
「某今すぐにでもお館様の元に馳せ参じたき心積もりでござるが…」
「まあ急くな。たまには違った酒の相手が欲しかったところだ。付き合えよ」
小十郎じゃ飽きていたんだと揶揄すると、むう、と幸村は、 「どうせ私は説教しか言いませぬからな」 と諫言を言う片倉を見て唸った。
「某、あまり酒の作法には通じておりませぬぞ」
「そういうアンタだから良いんだ。面白ぇもんが見られるかもしれねぇし、別に何もなくても良い。採って食いやしねぇよ」
「…よろしいでしょう。今宵は不肖ながら、この幸村めがお相手仕まつる」
「禾の刻に遣いをやる」
政宗が退室するまで、幸村は平伏したまま顔を上げなかったが、しかしその表情はどこまでも厳しかった。
*
酒蔵の一棚分の酒瓶を空けて、ふと政宗は幸村の様子を伺った。
下戸かと思いきや、予想以上に猪口を傾ける速さは凄まじく、僅かばかり政宗は瞠目した。しかし酔ってはいないというわけではないらしく、半分ほどずり下がった瞼の奥の目はとろんと油を垂らしたように眠気に溶けている。頭も一定の拍子で前へふらり、後ろへふらり。
「アンタ結構いける口なんだな」
「昔兄上と盗み酒をしていました故」
「Ha!とんだやんちゃだ。見かけほど生真面目じゃねぇってわけか」
「子供の悪戯でござる」
据わった目で政宗を睨み上げれば、微々たる紅潮の差した頬を揉みしだき、また、猪口を口に運ぶ。意識の方はまだ潰れるまではいかないらしい。このまま酒の味に慣れれば、とんでもない酒豪になるのではないかと、あの甲斐の虎と酌み交わす幸村を想像した。有り得ない話ではない。
「それで、何故政宗殿はあのようなことを仰せになられたのでござる」
「Ah?」
「伊達に降れなど、某の心中は、疾うにそなたへ理解頂けたものだと存じておりましたのに」
「Wait、そりゃあアンタの押しつけってもんだろ。それか思い違いか?俺はアンタが甲斐にいること自体を惜しんだ覚えはねえ」
「そうでござりましょうか?」
徳利を振って、空だったらしく、幸村は不満気に唇を尖らせた。政宗がたった今開けたものを譲れば、目元を緩ませてそれを猪口に流す。遠慮というものは、彼の辞書にはないようだ。
「そうでなきゃアンタの実力なんて知らなかっただろうし、互いに手合わせすることもこうして酒を飲み交わすこともなかったはずだ。俺は一応、この関係には感謝をしてるつもりだぜ」
「………」
「ただ、アンタが俺の手以外にかかってどこぞとも知れねぇ場所で野垂れ死ぬのは、些か胸糞が悪いだけだ」
「…押しつけはどちらでござりましょうや」
「……そうだな。俺みたいな生い立ちの人間にゃ、我が道しか歩けねぇさ。誰の下につく気もねぇ、誰に指図を受ける気もねぇ、自分勝手な野郎だよ」
「…某、少々酒が過ぎたようでござる。今宵はこれにてお暇お許し願いたい」
「……小十郎を待たせてある。案内に使え」
「忝く」
気が付けば、二人の間は酒瓶で埋め尽くされていた。こんなに飲んだのかと尾を引く酔いの痛みを憂いながら、政宗は盆に猪口を置いた幸村を見た。
洗練されてこそないが無駄のない所作は酔いを感じさせない。自分よりも強いかもしれないとその後姿を見送り、言った。
「降れっつー返事、まだ俺は聞いちゃいないぜ」
「なれば某も、政宗殿が仰られた理由とやらと、伊達に降れとの仰せ付けへの関係について、まだ返答を頂いてはおりませぬ。如何か?」
政宗が言葉を喉に詰まらせた隙に、幸村は悲しそうに笑んで 「今宵はゆるりとお休み下され」 と言って宵闇に消えた。
顔を歪めた幸村の真意を、政宗が理解することはなかった。
貴方ほどグロテスクではないし
貴方ほど美しくないし
貴方よりたくさん泣く
thanx;夜明けの口笛吹き