『後追いなどしてみろ。例えば次に会ったとしても、お前の存在なんぞ、頭から消してくれる』
胸ぐらを荒々しく掴んで、静かな怒気を孕んだ目で確かに彼は言った。流石は一介の武士である。佐助は無抵抗にも、幸村の腕から僅かにぶら下がる状態を甘受していた。胸が詰まる。
『お前がここにいるのは、某の従者としてであろう。故に某を守って死ぬのならば咎めはせぬ。咎めたところでお前の意義を見失うだけだ』
佐助は、全くだと幸村を見下ろした。
『が、某が死んだ後に、自らの命を絶ってみろ。地獄で皮を逆剥きにした挙句細切れにして殺してやる。来世で気安く話せるなど、ゆめゆめ思うなよ』
なんというか、人を殺すことが合法と考えられていたあの時代ならではの言葉この上ない、と思う。死人を更に貶めるような悪癖は持ち合わせていないだろうに、平気で引きずり出した腸をぐっちゃんぐっちゃんにするくらいはやって退けそうで戦慄する。やれば出来る子とはよく言ったものだが、人の道を外すようなことまでして欲しくないと思うのは、最早染み付いた佐助の母性そのものだった。やだやだ、俺様主夫なんかになりたくないよと鞄を肩にかける。今は平成、出会い頭に首を掻き切られることにはなるまい。
そして今朝。
「どちら様でござるか?」
彼は死んだ後ですら佐助の行動を逐一監察していたのではないかと、猜疑の念を抱くほどに、再会した幸村は実に忠実に佐助のことだけを忘れていた。
あの約束は酷すぎた
学生時代の話を書いた、時の芥川賞受賞者様には、本当に頭の下がる思いだ。いくら医療技術の向上で年々延びる寿命の内、割合少ない思春期が貴重だからって、多感でわけのわからない理屈をこね繰り回すガキの、錯覚にも似た恥ずかしく甘じょっぱい初恋を殊更初々しく、大仰になど、書けない。佐助は苦い気分でホームに入ってくる電車を見る。
まだ悠長なお子様は寝ているくらい早朝だというのに、こちらは半ば加齢臭漂わせたスーツの塊どもと寿司詰だ。何の拷問だ一体。俺様だって布団があるならスライディングかまして寝入りたいよ。ホームにいるサラリーマンの皆が皆、佐助と同じく坑い難い眠気あり気な倦怠感を装備しているせいか、するする入る列車もどことなく気だるげである。
あーあ。こんなことなら旦那の最期見届けて後始末した後、嫌気が差して苦無口に挟んだまま後ろ向きに倒れたりするんじゃなかった。ちゃんと天寿を全うすれば良かったんだ。俺のばか。
彼の宣言した通りのこと(強いて言うならば皮を逆剥きにされたり)が幸い哉、実行された記憶もないので油断していたのだ。
前田のダンナ覚えてる?
うむ。
伊達のダンナも?
うむ。
じゃあお館様も?
無論!
じゃあ俺は?
…済まぬ。
ああ正直皮を逆剥きにされた方がまだマシな気がする。それで幸村の気が済めば御の字である。俺のばか。
しかし残念ながら今更な話で、例え結果の知れたところで佐助はやっぱり苦無を口に入れるか、無謀に果敢に敵陣の中へ突っ込み敢えなく討ち死にしたのだろう。
幸村が佐助を認知しない世界が、こんなにも味気無かったなんてと車窓に映り込んだ佐助の顔はひどく惨めで欝屈としていた。
やば、泣きそう。
最後の願いなど聞くものではなく
何で俺と同じ学校にいるんだこいつは。もしかしてあれか?今流行りのストーカーか?
「某そんな趣味ねぇでござる」
「ああ、そうかい。じゃあ何でこんなところで鉢合わせるんだよ真田幸村ァ」
「政宗殿も壮健息災にてお変りなく。ただ、あの時代と同じ喧嘩腰ではまるで不良のような有り様でござるな。改変することをお勧め致す。それで何故某がここにいるか、でござるが、そんなもの某がここに入学したからに相違ないからに決まっておりましょう。そなた頭が悪いのか?」
「Shiiit!アンタに頭が悪いなんて言われる日がくるとはな、糞食らえ!」
同じシャツ、同じネクタイ、同じジャケット、同じ校章バッジと出立ちをいくらか着崩した格好で向かい合っているのだから、最早覆しようのない事実であることは明白なのだが、政宗は脳味噌でそれを拒絶した。
「俺を殺した野郎が目の前にいるたァ胸糞わりいことこの上ねぇな。アンタ俺に殺されてくれねぇか?そしたらこのわだかまりは解決する気がする」
「別にそのわだかまりは某に関係ないはずでござろう。勝手にポイして下され」
「お前のいっそ見事なくらいの関心の無さには頭が下がるな」
「某は生憎この時代で人を殺したことなどありませぬ。心外な」
どこの口が言うことか、と政宗は幸村を睨む。しかし幸村はどこ吹く風とまるで政宗を相手にしない。その様子が一層憎たらしく思え、政宗は人を殺すことが合法とされていたあの時代を、一際恋しく思ったのだった。
残念なお知らせ
奴の絶望した顔が、暗い影を背負っている。幽鬼のように感じ、何かしら不吉染みたものに思えて仕方ないが、政宗は彼を厭おうとは思えなかった。寧ろ今にも泣きそうな彼に同情や哀憫の念さえ抱いている。
「済みませぬが、誰かとお間違えでござろう。某、そなたの顔に見覚えがありませぬ」
彼の顔を、政宗は見覚えがある。というよりも、幸村にこそ見覚えのある顔のはずだ。彼はあの時代、幸村の影として生きていたのだから。
非道い仕打だと思う。政宗は幸村の跳ねまくった髪を見つめた。平成の記憶には有り得ない、一寸の狂いもない、堅そうでその実雨に濡れると簡単に垂れ下がってしまう髪だ。
幸村は微笑んでいた。対して彼は、佐助は、強張った顔を今もほぐせないままでいる。紙より暗く、魚の腹のように白い顔である。次第に佐助の目が政宗へ向く。如実に目が語る、何故幸村の隣にいるのがお前なんだ、と。そんなもの政宗が知りたい。
「さ、政宗殿。行きましょう。そろそろ電車が来る頃合いでござる」
「ん、ああ」
佐助は幸村を見た。寂しそうな目をしていた。幸村の背中につい政宗は言いそうだった。お前このままで良いのか。
お前、お前本当は、
本当は忘れてない
こいつら揃いも揃ってさいあくだ!
政宗は救いようのない空を見上げた。
thanx:
夜明けの口笛吹き