誰しも程度の差こそあれ、現実逃避を図って自己嫌悪や自己陶酔をしたのではないだろうか。佐助はそう考え、それを考えることも現実逃避になると思い、止めた。
とてもとても嫌な夢だった。
周りは暗く、ともすれば足元すら見えないほどの闇の中で、それでも恐れることなく佐助は立っていた。闇に触れたまま、人間は半日過ごせば正常な判断ができないという。それなのに佐助は気丈にもそこに直立したまま立っていた。
ここはどこだ、と見回すも、闇である。何も見えない。風も吹かない。人の気配も、しない。
嫌だなあ、と佐助は思った。
とにもかくにも足を前に突き出す。下ろす。前に進む。歩けた。
そのまま進む。そのまま歩く。その内、佐助は歩調を速め、いつしか体を低くして走っていた。
人間は、暗闇の中では真っ直ぐに歩けないのだという。視界の狭窄反応に、体がついていかないのだという。にも関わらず、佐助は走っていた。疾駆していた。足の裏は見えもしない足場をしっかりと捉え、崩れることなしに体を支えている。
わあ!佐助は歓声をあげた。
おれ走ってる!おれ走ってる!何も見えない暗闇の中で!
たなごころを見る。力を込めて爪を立てれば、易々と痕が残せそうなほど、長い鋭い鉄が指先から伸びている。額と頬に金属の冷たい感触がある。懐を探れば、銃刀法違反にひっかかりそうなほどの凶器がずらり。
でも重くない!
佐助は跳んだ。暗闇の中でくるくると姿勢を変えながら飛び跳ねた。
目の前を細い何かがたゆたっている。ゆらゆら、風もないのになびいている。佐助はそれを見つけて手に取った。朱い、何かだ。




佐助はぼんやりと天井を見つめた。日の光が薄々と小さなカーテンの隙間を縫って入ってくる。
暗闇はない。赤い何かもない。確かに手に取ったあれが呆気無く消えて、佐助は一人涙した。















頭痛がひどい。幸村は駅構内の椅子に座り、へなりと首を曲げた。ばき、と決して小さくない音が首から鳴り、幸村はまたへなりと首を曲げた。まるで首の据わらない赤子のようだと力なく笑い、次いで首が鳴るときに伴う、脊髄近くの毛細血管が千切れるという危険にひっそり冷や汗をかいた。
頭痛がいつまで経っても引かない。ずっきずっきずっきずっき、耳の裏なりこめかみの横なり後頭部なり、好き勝手に痛みの合奏を始めている。孫悟空はこんな感じだったのだろうかと幸村は唸った。


「幸ちゃん大丈夫?」


駅構内、どこにでもある小さな販売店にて。
幸村は一緒に働いている中年の女性に頷いた。
平日、昼時。混雑時でもなければ昼から出る大学生なりがいたりと全く人気がないというわけでもない、薄暗い地下鉄駅構内。まかないを頂いて幸村は溜め息を吐いた。
帰りに頭痛薬でも買ってこようかと思えど、人工的なあの臭いは嫌だし、漢方は割と高い。バイト生活に明け暮れている幸村には手が出しづらいものである。まかないの売れ残った弁当を突付きながら幸村はまた溜め息を吐く。後ろから、幸せ逃げるよと柔らかく響く声がした。
幸せってなんだろう。少なくとも、万人が共通して求める何か、としか幸村は考えない。いいことが起きれば、それは幸せと同じなんだろうな、と考え、いいことが積もれば一番いいのだろうとも思った。でも、人間の摩擦はそれで済むことはない。
誰かにとっては仏でも、誰かにとっては鬼である。
人間の最大の恐怖は孤独で、だから大衆社会ができているのに、人間は画一されたものをひどく好み、異端を忌む。
それがとてもとても、寂しい。
幸村は特に異端でもなければ特に平均化されてもいない。男にしては珍しい長い髪、口調。どれも幸村は形成するが社会では受け入れてもらえない。
あの頃に帰りたいと目を瞑る。




瞼の裏には、今はどこにもない広い山々と、空と、暗闇と。
そして懐かしい人たちがいた。




光陰矢の如し