さてさて、どこからお話し致しましょうか。







一握の




とあるお国に武将がおりました。この乱世に武将なぞ、どこにでもおりましょうや。珍しくもない。されどそのお方はお生まれが少々お変りあそばされてな、では和子様の時分からを先ずはお話し致そ。さあさ茶でもお飲みにならしやせ。つまらない年寄りの話で良ければ存分に聞かしてしんぜよう。飽かずが保証はござらんが(老人はくすりと小さく笑った)。
今からあまり遠くでない昔、お武家様のお家に切望されたをのこの赤子が生まれました。ええ、御察しの通り明察の通り、それが件の武将にございます。願いに願った男児の誕生に、当時お屋敷の方では大層な祝い事が執り行われました。嫡子乃ち跡継ぎのご誕生は、一族の存続の象徴。あたしらしがない農民達にしてみりゃまだまだ流行り病や飢饉で死ぬ機会も多かろうけれど、殿様は大変お歓びなされました。をのこができれば跡継ぎへ、をなごができれば人質へ。子供は皆道具です。そして自分の子供も道具にします。一番、良い方法でしょうな、あの方達にとっては(老人は遠くを見る。昔を思い出して物思いに耽っているのだろうか?)。
話が逸れましたかな。あたしの子供に対する価値観なんざをお求めというわけじゃございやせんでしょ。へえ、それでは続きを。
御子様は梵天丸と御名を頂戴し、…ややこしくなりますので梵天丸様とお呼び致しましょう…乳母であらせられる奥方様とこの先を行くと出られる土地を治めた御父上様により、何の弊害もなく健やかに御育ちあそばされた。あたしも御姿を幾度か拝見しやしたがね、髪の長めな利発そうな御子様に見えやした。羨ましいこと際限なしですが、これは話に関係ござりませぬので割愛をば。
幾許かの月日が過ぎ、梵天丸様が歩き言葉を操るようになった頃、不運なことに、殿様が急逝致しました。やはり人間病には勝てませぬな。この老いぼれめの足も、言うことを聞かぬようになりもうしたがそれは関係なきことにござります。殿様を哀れなほど愛しておりました(虫唾が走ったのか、老人は足を酷く掻きむしった)奥方様は、後を追うように御心を病まれてしまいました。どこか面影が残っておいでだったのか、梵天丸様の顔を見ては怯える日々に明け暮れ、しまいには梵天丸様の食事に一薬を盛るまでに心身共に憔悴なさったのでござります。
母御の愛情というもんですか、それに酷く飢餓していらっしゃった梵天丸様は、されど奥方様の憎しみ悔しさ諸々さもしいものを耐えて受け取られておりました。毒が入っている料理をそれと知りながら食し続けられた梵天丸様は、ついに片目を取らねばならぬほどに蝕まれました。
何故そのような内情を知っているかと?確かに奥方様が実の御子を殺そうとしたなどが醜聞は、誰しも隠したがりましょう。しかしそれは若様、聞くも野暮、という奴でござりまする。あたしは耳が長いだけでして。…へえ、なれば続きを。とある、梅の花が散る日でありましょうか、梵天丸様が唯一信用のおける部下の片倉殿を引き連れ、散歩に出ていたときにございます。毎日息が詰まるような家にはおられないのでしょう、時折散歩に出ておられました梵天丸様は、その日は河路に見慣れぬ人影を見つけたのでござりまする。駆け寄ってみればそれは梵天丸様と同じ年に見ゆる御子にございました。
ぼろぼろの赤い布切れを纏い、呆けたように片足を川に突っ込んで座り込んでいたその御子に、何を感じたのかは存じませぬが、梵天丸様は部下の方が止めるようお声をおかけあそばされたにも関わらず、その御子に近付いて行きました。


「何か、見えるのか?」


その御子はぼんやりと梵天丸様を見上げられました。ぱちりぱちりと瞬きをなさった後、首を振りその御子はまた川の向こうに視線を向けました。


「お前はここの生まれか?」
「ちがいまする。されどいまはないもおなじにござる」


梵天丸様は御子の顔を見ましたが、御子は相変わらずぼうっと川を眺めておりました。梵天丸様もすとんとそこに座られました。


「名前は?」
「とらわこ、とよばれていたときもありまするが、いまはなまえはありませぬ」


この御子を、その名の通り虎和子様とお呼び致しましょう。
虎和子様はよくよく見れば傷だらけにございました。川に沈んでいる御身足はむくみ、そこかしこに引っ掻いたような傷もあります。梵天丸様はそれを見て顔をしかめて言われました。


「痛くはないのか」
「いたいのはしょうちのうえ。なれどそれがし、ぶしのこなればたえねばなりましょう」
「家、なくしたのか?」
「かいの、武田にうちとられました」


一瞬虎和子様の目に殺意が湧き出たのを梵天丸様は見ました。されどその火はすぐに消え失せ、虎和子様は小波ひとつない穏やかな目で梵天丸様を見つめ返します。


「それがしより、そなたのほうがいたくはないのでござるか?」
「目、のことか」
「とてもいたそうでござる。されどなかないそなたは、すごいでござるな。それがしはかためをとられてなかぬなど、けしてできないでしょう」


梵天丸様は、そりゃあ嫌な思いをしたでしょうな。何せ虎和子様は梵天丸様の片目が何故取られたのか、その詳細を知らないのですから。
梵天丸様は右目を覆う包帯を退け、ぱかりと瞼の下のその何もない眼窩を虎和子様に見せてやりました。虎和子様はぎょっとして身を引きます。


「何もねぇだろ?」
「………」
「なくなりゃ、痛くも痒くもねぇ。だけど涙まで出なくなった」
「めだまは、どこへ」
「知らねぇよ。誰かが食っちまったかもな」


諦念に自嘲を溢された梵天丸様は、今まで別に涙がそこまで惜しいものではないと感じておられたようです。決してそのようなことはないと、若様なら御分かりになるんじゃあ、ござりませぬか?いいえ、出すぎた真似をしてしまいました。申し訳ありませなんだ。


「お前は、仇を復そうとはしないのか」
「いまのそれがしに、なんのちからがのこってましょうや。あだをうつことはもとより、このさまではあいまみえることすらかないませぬ」


虎和子様の目に遺恨がないとは言えませなんだ。されど酷く落ち着いた虎和子様を取り巻く空気に、梵天丸様は沈みかけた気がふと浮かび上がるのを感じたのでしょう、虎和子様の小指を小さく摘みもうした。


「俺はこの国の主になる。そしてこの国を豊かにする」
「…そなたはちゃくなんでござるか」
「死ぬ気もなく、この国の者でもないなら出ていけ。生きろ」
「…なにゆえ、とつぜんそのようなことを」
「うるせえ黙って聞きやがれ」


虎和子様は眉根を寄せて首を捻りました。当然でしょう、虎和子様には梵天丸様の思うところなぞ解りませぬ。されど摘まれた小指がつきつき痛み出したのと、奥州にいてはならないと言われていることだけは解りました。「それがし、そなたのいうことがよくわかりませぬ」と、虎和子様はきゅっと眉を潜め、梵天丸様の掴んでいた小指を振り払い、毅然として橋を渡って行かれました。
梵天丸様は再度申されました。


「名前は?」


虎和子様は橋から身を乗り出して梵天丸様を見下ろします。


「いつか戦場であったときにでも」


背中を向けた虎和子様の反物には、うすらと六文銭がございました。
これはあたしがとある武将様からお聞きした話と他の同じ話を併せたもんですがね、如何でやした?子供たぁいついつまでも微笑ましいもんですなあ。
…ところで若様は今からどちらへ?いいえ、いいえ、それは出すぎた真似にございましょう。けれどね、貴方様が来られた方は梵天丸様の故郷にござります。そして貴方様が行く路は甲斐に繋がっております。貴方様が甲斐へ戻るのか行くのか、あたしは存じませぬが、けれどその独眼竜は甲斐にては見られた覚えがござりませぬ。へえ、ここは甲斐と奥州の国境。両軍の流者が如何程かおりますので筒抜けにございます。ご無礼のほど、わかっておりますがこのことはどうぞご内密にして下さりませ政宗様。何卒。
(「Shit!」呟いて、野馬を走らせた。目指すはその和子の片割れの元だというのは、皮肉なことに、その老人の知り得るところではない)