Verstehen Sie es nicht; woll Sie es verstehen.(わからない、わかりたい。)
「…いいのかよ、放っておいて」
尋ねると、傍らの男は答えた。息を殺しての問いだったが、でかい図体を無理に縮こまらせて身を寄せるこの男には、しっかり届いていたようである。
「俺にどうしろってんだよ。俺はただの人間なんだぞ。それ言うならジタン、お前が行けよ」
「嫌だね。吸血鬼相手なんて冗談じゃない」
「元はと言えば、お前が連中の懐の中身に手ェ出して、こんなところまで追いかけられたのが悪いんだろ。迎えに行く俺の身にもなってくれよな」
「うるせーな。馬車は思いっきり壊されてるし、散々だぜ」
チョコボも逃げたしさ。そう言うと男は足を小さくばたつかせて身悶えた。
「あぁああぁ、ボコぉぉ」
「ま、連中が足の速いチョコボをわざわざ追いかけて殺す趣味があるならともかく、大丈夫だろ。連中、あれに夢中だし」
あれ、というのは、半壊して横倒しになった馬車のそばで座り込んでいる子供のことだ。この男が、ここへ来る途中に拾ってきたという。
話によればあの子供は故郷を吸血鬼のせいで亡くし、飢えに行き倒れていたのだそうだ。吸血鬼をひどく憎み、恐れていて、機会があったら吸血鬼は人を無暗に襲う奴らばかりではないと、教えてやりたかったのだと男が言うのに、ジタンは心底呆れて子供に同情した。
「行く先々でああして襲われてんじゃ、生傷に指突っ込むようなもんだな」
他人事だが、相当に運が悪いのではないだろうか、あの子供。
「ていうか、連れてきたんなら最後まで面倒見ろよ」
「だって、あいつ呑気に寝てたんだぜ? 俺が逃げるので精一杯だっつの」
「あー、俺たちもタイミング悪いよなあ」
ここまでトラブルが重なることなんか、今まで一度もなかったんじゃなかろうか。
たまたま金目のものを頂戴した相手が吸血鬼で、迎えにと来た馬車はその吸血鬼に壊されて即座に足を失い、おまけにたまたま馬車に同乗していた子供が目の前で襲われている。美談にはならないが、笑い話にならどこまでもなりそうだ。ジタンはうんざりして頭を抱えた。
「ジターン。ほら、お前、あれ得意じゃん。物をぽんぽん浮かせたり、重力無視できるヤツ。それで助けらんね?」
「ふざけんな。俺ができんのはそれだけで他の能力は全くないって言っただろ」
「それだけでも普通の人間にとっちゃすげーけど」
男は何の気なしに言うが、ジタンにとっては半端な力だ。つくづく思う。
ジタンはダンピールだけれど、能力にものすごく偏りがある。視経侵攻なんかはからっきしだし、視経発火は蝋燭に火が灯ればめっけもん。念話は何を言ってるかわからないが、とりあえず声は聞こえると仲間内の吸血鬼に言われてしまった。ただひとつ吸血鬼と同等に使えるのは力場思念だけという有り様で、常日頃から不服に思っているのだ。他の能力も使えれば、稼業だって楽になるのに。
「やっぱ無理?」
「無理だね。あーあ、こういう時に視経侵攻が使えればな」
何か面白いことでもあったのか、ごろつきの吸血鬼たちは子供を囲んで囃し立てながら嗤っている。その内容は、あまりにひどい貶めで、聞こえてしまったジタンは眉を寄せた。
成り上がりの吸血鬼は、人間の頃には決して手に入らなかった力に陶酔して、己の力を過信する。無力な人間を甚振ることに悦を感じる。見ていて気持ちの良いものではない。
しかし吸血鬼一人ならまだしも複数が相手では、ジタンもあの子供のように囲まれていいようにされるのは目に見えている。
ふと、隣の男が言った。
「近くの村から、助けとか、呼べないかなあ」
「はあ?」
「だってよ、あれはあんまりだし、殺されるかもしれないし」
「で?」
「外からたくさん助けがくればさ、そこは数の暴力って奴で! あわよくば吸血鬼の助っ人とか頼んだりして」
ジタンは不機嫌気味に顔をしかめた。どうせ俺は役不足だよ。
男は、思い立ったが吉日とばかりにジタンの手をひいて、見つからないように物陰に隠れながら走り出す。ジタンの制止なんか聞いちゃいない。
人間と吸血鬼の交易に携わるこの男は知らないだろうが、人間と吸血鬼には乗り越え難い確執がある。もちろんその間に位置するダンピールにもだ。理解できない異能に怯える人間と、彼らから敵意や畏怖の目に晒される吸血鬼が偏見なく手を取り合うことはめったにない。幸いジタンの周囲は気のいい人間、気のいい吸血鬼が多く、そのような目にあったことはないが、ダンピールも人間と吸血鬼の板挟みでひどい迫害に遭うのだ。見ず知らずの子供を助けるために吸血鬼に決起する物好きが、この世に何人いるか。
(知ってても、こいつはこうするだろうな…)
その物好きの一人なのだから。
長く付き合ってるが、未だにこの男に振り回されることが時々ある。最早さっさと諦めた方が良いのだろう。
と、突如、目の前で走っていた男が足を止め、危うげによろめいた。すぐ後ろにいたジタンも男の背にぶつかりそうになり、慌ててステップを踏む。
「あ、わり」
どうも角から人が出てきたようだ。男の体越しに相手を見て、ジタンはぽかんと口を開けた。
黒い外套に身を包んだ、怪しい格好だった。しかしフードの中心にある顔は耽美に値する。フードからはみ出した金髪が何とも目を引いた。
え、男? 女?
ジタンが迷ってる間に、相手は感情のない一瞥を投げて二人の横を過ぎ去るべく、歩みを進めた。片手には何故か男を一人ぶらさげて引きずっている。
「うひゃー、いるんだな、ああいう目立つ顔立ち。世の中不公平だぜ」
「…吸血鬼」
「ん?」
「あいつ、吸血鬼だ」
「え、マジ?」
ジタンは姿の見えなくなった外套を追い、来た道を振り返る。顔ばかりに目がいったが、言われてみれば細い瞳孔をしていたような。
「ま、バッツが言うならそうだろうけどさ」
お前、目ざといし。ジタンの言葉に、男は頼もしく笑ってみせた。
この男がそう言うならそうなのだろう。洞察力は舌を巻くほどだ。
「…ボコ、探さなくちゃな」
「ええ? 助けを呼ばなくていーのか?」
「うん。多分、助かる」
その根拠は一体どこから出てくるのだ。
ジタンは、スキップでもしそうに足取りが軽くなっているバッツを渋面で追いかけた。
いきなり意を翻し、しかもその理由が多分ときたものだ。相変わらず行動が読めないところはとことん読めない。始末の悪いことに、大概こういうときのバッツは、結果的に正しいから困る。
(死人が出ないのは良いことなんだろうけどさ)
なんとなく、納得が行かない。
ジタンが根城にしている建物に、何とも珍しい男が来た。男の時代錯誤も甚だしい格好は、案内してきたのであろうバッツの後ろに控えていても、とても目立つ。この街では寧ろ悪目立ちの部類だ。
「この街に一番詳しいのは君か」
「別に一番か知らないけど、それなりには。あんたは?」
「ああ、すまない。紹介が遅れた。私の名はウォーリア・オブ・ライト。<賢者>コスモスの<騎士>だ」
ジタンは目を見開いた。
<賢者>の始祖は人間にも吸血鬼にも平等であり、また両者に対して中立であることは、どんな寡聞な吸血鬼にも知れ渡っているほど有名だ。そして、その血統の絶対数が他と比べて圧倒的に少ないことも。
現在いるのは<騎士>の役割を担う直系ただ一人。身を包む青い甲冑は、その名に則っているのだろうか。
そんな吸血鬼が一体なんで一介のダンピールに過ぎないジタンに会いに来るのだろうか。
「私がここに来たのは独断であってコスモスの意志ではない」
「じゃあ、何で…」
「君たちに協力を頼みたいことがある」
「協力?」
「ああ」
「それ、詳しく話せる? 協力しなけりゃ話せないってことは?」
「話を聞いたうえで君たちが出した答えに添うと誓おう」
何て律儀な、堅物な。
代わりに融通もきかないかもしれないなと内心で邪推をぼやき、玄関先から部屋の中へ案内する。話が長くなりそうだと茶葉を引っ張り出すが、ウォーリア・オブ・ライトはきっちりと断った。本当に律儀だ。
普通、吸血鬼がダンピールに礼儀を払うもんか?
バッツとジタンが彼と差し向かって座ると、ウォーリア・オブ・ライトは朗々と口火を切った。
「我が『母』コスモスが、吸血鬼や人間、ダンピールを種族として差別しないことは知ってると思う」
隣からバッツが小声で 「母ってなに」 と訊いてくるが、脇腹を肘で突いて黙らせる。ウォーリア・オブ・ライトの眉間の皺の具合を見るに、話の腰を折るのは旨くない雰囲気なのだ。
「しかし最近、蛮行に浸る吸血鬼やダンピールを不必要に迫害する人間が多い。このことに関してコスモスは深く嘆き、海上都市の創立を検討した」
「ふうん?」
「ただ、都市を創るだけでは他の街と変わらないだろう。我々が成し得たいのは、吸血鬼・人間・ダンピールと種族の違いから派生する迫害のない、秩序ある都市だ。この街に住む彼らの関係は、大陸のどこよりも我々の理想に近い。君たちのようなこの街をよく知る者に、我々が目指したい街の創立に携わってほしい」
頼む。
そう、ウォーリア・オブ・ライトは頭を下げた。
人間のバッツに、ダンピールのジタンに、切実な声で。
(091108)