no more suppresss 01

Ich beobachtete Sie, wer die ganze Zeit ins Wasser versenkte.(私はずっと水に沈むあなたを見ていた。)

 


 ティナは己の血統が好きではなかった。というより、自分を吸血鬼にした男が好きではなかった。
 ティナが吸血鬼として目覚めたのは、今より昔、三度に渡る吸血鬼と人間の間で勃発した大戦がはじまった後のこと。戦乱のごたごたの最中に乗じて、孤児だったティナは同じく孤児の子供らと共に、西の大陸にある施設に連れてこられた。その施設は戦況に苦を見た人間が吸血鬼の研究にと使っていた建物だったが、当時は吸血鬼が所持し、各々の血統や弱点の起因についてを調べるための、研究施設となっていたようだ。
 西の大陸は<魔女>の血統が多くいる土地であった。何かと知りたがり、知識を得ることに貪欲な彼らは、その研究所で混血児を無理に造るのに、近隣から集められた子供らを利用していたのだと、ティナは自分を吸血鬼にした男に笑いながら教えられた。男は面白そうだと<魔女>がやることを見物していたそうだ。にたにた笑う男に、ティナは得体の知れないものに対する恐怖心をまざまざと叩きつけられた。男のそれは、どのくらいこの虫を水に沈めれば死に至るかと楽しみにしているような目だ。
 ティナは、どうせなら、実験の末に狂って死ぬ方がずっと幸せだったのではないかと、吸血鬼になってからもよく思うようになった。
 狂いもせず、かといって自ら死のうともしなかったティナに興味を持った男の手によって吸血鬼にされ、実験対象から外されはした。けれど男に連れられて見て回った研究所は、人の子供に強いるには特にひどい環境だった。子供らは外を自由に動き回るティナへ羨望と救済を求める目を向けたが、ティナの縦に割れてしまった瞳孔や、唇から僅かに覗く尖った犬歯を見るとひどく怯えた。その反応だけでも、ここでどんな扱いを受けたか知れよう。
 ティナの話相手は、そんなわけで、笑顔が気味の悪い男に限られていた。男は気が向けばティナに話をしてくれる。しかしずいぶん迂遠な男の口調はティナの不安を煽るだけ煽り、実になることは少しずつしか明かさない。吸血鬼の血統への執着としがらみ、必要最低限の払うべき礼儀以外、男はティナの怯える顔を見るために話をわざと捻じ曲げる。ティナは男が嫌いだった。
 実験を免れたとて、実験に加担する気には到底なれないティナは、人気のない場所を求めて研究施設内を彷徨った。男の支配がまだ強く残っていたのか、逃げるなんて考えは浮かばず、陰惨な雰囲気の漂う機械と人間の群れの間を縫い、歩き回る日々だった。
 彼は、その機械に埋もれるようにして存在していた。誰もいないと思っていた、培養ポッドが並ぶ場所に落ち着き、力を抜いてため息を吐いたティナが見たのが、最奥のポッドに入れられ、気泡が立ち上る輝く水に浸っていた彼だったのだ。
 ゆっくり及び腰で近づいても彼はティナを見もしない。虚ろに目を開いたままだ。術着の下の胸元が薄く上下しているから、死んではいないのだろうけれど。呼吸にあわせて、口から繋がれているチューブの外へ呼気が溢れる。見た目はティナより少し年上といったところだが、ぼんやりしている顔はずいぶん幼かった。
 ふと、意識があるように見えない青年の目が、ティナと同じく細い瞳孔になっていることに気付いた。


「…吸血鬼……?」
「ダメだよう。そいつを勝手にいじっちゃあ、アルティミシアに殺されるんだから」
「ケフカ」


 振り返ると、あの男が癇に障る笑顔で立っていた。忠告ではなく唆す響きの強い言葉。道化の格好を好んでする男に似合う、小馬鹿にした口調に、ティナはぐっと眉を寄せた。


「アルティミシア…?」
「ここを管理してる<魔女>だよ。怒らせるといっぺん殺されるだけじゃすまないかもネッ、ハハ!」
「そんな…彼は吸血鬼なのに…同じ吸血鬼なのに」
「ティーナー! 僕チンたちだって同族で殺しあいもするよ。正直自分らの血族以外はどうだっていいしネッ。そこらは人間と変わらないって」
「でも、彼が同じ血族じゃないって、どうしてわかるの!」
「あれあれえ、ずいぶん気にかけるね。惚れちゃった? そんな人間的なモノ、まだあったワケ」


 ティナは息を呑んだ。男の目が、暗く鋭いものへ変わっていた。それだけで、ティナの足は竦んでしまう。
 男はティナに興味を持ったからこそ血族にした。ならば興味を失えばどうするか、考えるに難くない。
 嫌だ。
 死ぬのは嫌だ。
 こんなところで死ぬのはいや。
 生きていたい!


バンッ!


 後ずさったティナが背にしたポッドが激しく揺れる。慌ててそちらを見れば、ポッドの中にいる青年が体を固定していたコードを千切り、ポッドのガラスに手をかけてケフカを見ていた。その目はケフカと同じく、昏く、鋭い。ケフカは青年の斬れ上がった目を見て顔を歪める。


「瓶詰に何ができるってんだィ? たかがお情けで生きていられる分際で、生意気に!」


 青年は何も言わない。けれどケフカはひどく癇に障ったらしく、髪を両手でかきむしってヒステリックに叫んだ。


「うるさいうるさいうるさい! いいさ、壊そう、お前を壊そう! そうすればもううるさくなくなる、ティナはお人形になる! それがいい!」
「良くない」


 ティナは、後ろのポッド再び見た。青年の声だと思ったのだ。
 けれど青年はまた目の焦点を失い、液体の中で静かに沈んでいる。千切れたコードが浮かんでいなければ、ポッドを青年が内側から叩いたことさえ白昼夢のようであった。
 ティナはケフカの後ろに佇む人物に気づく。大柄な、しかし細身の男がケフカ睥睨していた。


「人がいない間に勝手な真似をするな」
「ふん」


 ケフカ小さく悪態を吐くのにも気にとめず、男は銀の長い髪を緩やかに揺らしながらポッドに近づく。途中ティナに気付いたらしく、その長身から見下ろしてくるその目は、ポッドを満たす液と同じく薄い緑青の色で、瞳孔も細く割れている。けれどケフカにはない重圧に、ティナは即座に膝をついた。男は鼻を鳴らす。


「ほう、道化の『子』にしてはよくできている。さぞやとんだ放任だったのだろうな」
「うるさいなあ! 自分こそ『子』で満足しておけばいいものを」
「何とでもいえ」


 男はケフカを一蹴すると、ティナの横を通り過ぎ、ポッドに触れた。ポッドの中の青年は物言いたげに目を眇めている。
 男は言う。


「今しばらく待っていろ、クラウド」


 とても、愛おしそうに。

 

 

 

 

 <術師>とはそもそも、吸血鬼が行使する能力の類を扶助するものを作り出す匠の血統である。アクセサリーや魔具を作るのに長けた手先の器用さは、ティナにも素質があったようだ。
 幾許かの時が過ぎ、ケフカの下を去り、ティナはアクセサリーを売って旅の路銀にしていた。時折、暇を持て余したケフカが徒にティナを死にそうな目に遭わせていたが、彼は自分に抗うティナに新しい面白みを見つけたのか、ティナを本気で殺すようなことはしない。旅の最中で様々な場所へ行って、街に住むダンピールが迫害され、吸血鬼が人間を甚振っているのを見ては何とも言えない気持ちになったけれど、力のないティナには無責任に手を差し伸べることもできなかった。ティナが外に出て数百年余り時が過ぎても、人間と吸血鬼にある大きな隔たりは変わりなくそこに存在している。
 ティナは世界を巡りながら、あの青年を探していた。
 ポッドの中に収められていた青年。あの銀髪の男に名を呼ばれていた青年。ケフカにはあんなに激昂していたのに、あの男には感情をあらわにはしなかったのが気になった。彼は元気にしているだろうか。あれ以来、再会することが叶わなかっただけに、あのときの礼をきちんと伝えたい。
 旅の間には色々なことがあった。
 人間と吸血鬼の中立を掲げた血統の直系に出会ったり、吸血鬼をとても憎んでいた少年と何年か共に過ごしたり、その少年とはケフカのちょっかいで別れてしまったり、あの青年を探して大陸中のみならず世界中を渡り歩いた。けれど彼の噂はとんと聞かない。噂を聞かないということは、人目につかない場所で暮らしているのだろう。
 ティナは世界を何回か見て回った後、今度は人気のない場所を訪れてみた。吸血鬼に滅ぼされ、誰もいない街の跡。深い深い湖畔。山岳に登ったこともあった。再三世界を廻り、とある人の絶え、吸血鬼の集落になっていた村で、そこより更に北の森に変わり者の吸血鬼がいるという話を聞いた。森から出ない代わりに、一人の人間の子を遣いとして外に出していると。
 そこに赴いたティナは、とてもとても寂しい気持ちになった。暗い影を湛えた森。落葉しない針葉樹林はいっそうその陰を濃くし、外から来る者を拒絶している。
 ティナはここに入れない。招かれないと入れない。<術師>の血統たる特徴に、今更困らされるとは思わなかった。
 ティナが森の入口でまごついていると、ふと傍らで血の臭いがした。人間の甘美なものではなく、据えた獣の臭い。ティナは近くの茂みを覗き込み、問いかける。


「…誰かいるの?」
「え?」


 森に入れないティナは、茂みを分け入ることはできない。返ってきた声の主に自ら出てきてもらうしかないのだ。


「だ、誰ですか」


 子供の声だ。


「ご、ごめんなさい。血の臭いがしたから、どうしたのかなって…」


 しばらくして、子供が一人、茂みから顔を出す。そうして、ティナの目を見て一目散に逃げようとした。


「ま、待って! 襲うつもりはないの! 私、この森に入れないから、人に訊くしかなくて…! …痛!」


 子供を追い縋って伸ばした手すら、手ひどく火花を散らして弾かれる。指先から焼ける臭いがして、ティナは途方に暮れた。
 このままでは青年の情報が手に入らないかもしれない。もしここにあの青年が住んでいたら、会えなくなってしまう。どうしよう。
 子供は、少し離れた森の奥から、そんなティナを見て問う。足元には死んだ獣が転がっていた。ずいぶん手慣れた様子だった。


「本当に、入ってこない?」
「ええ」
「……訊きたいことって?」
「人を…ううん、吸血鬼を探してるの。私の恩人で、一度ちゃんとお礼が言いたくて」


 ティナは、あの青年のことを何も知らない。どこの血統なのか、銀髪の男とはどんな間柄なのか、声も、髪の色も、肌の色も、目の色も、青く輝く液体に何もかもが阻まれていた。それでも一目会いたいのは何故だろう。恩を感じている。けどそれだけではない。できれば一目会った後も会いたい。それは恩赦の気持ちではない。もちろんかつてケフカに言われたような、恋い焦がれる慕情でも。
 知っているのは、名前だけ。


「クラウドって、そう呼ばれてるみたい。知らない?」


 子供は小さく、 「この森にいる」 と呟いた。
 ああ。ティナは歓喜する。







(091108)