Werde ich viel lonelier sein?(僕はずっと一人ぼっちなのでしょうか)
ティーダは外で遊ぶのが好きだった。特に、ボールを追いかけて走りまわるのが好きだった。
子供たちの中で一等足が速く、身軽だった。かけっこで毎回一番になるのはとても嬉しかった。しかしそれで他の子供たちの不満が募らないわけがない。嫉妬という言葉を知らない子供たちは、いつしか 「ティーダと遊ぶのはつまらない」 と残酷な言葉で無垢だったティーダの心を斬りつけながら、離れていったのだった。
加えてティーダは、他にはない変わった目をしていた。片方の眼が細い瞳孔をしていたのだ。細い瞳孔は吸血鬼の血統の証。それを知っている大人たちは、露骨にティーダを忌避したものだ。
確かに父は吸血鬼だ。けれど、ティーダを生んですぐに他界した母は人間だったと父は言う。優しい女だ。イイ女だった。お前もあんな女の子を捕まえろよ。思い出しながらひとつひとつをこぼす父は、いつもティーダに対するぞんざいな扱いをするときの楽しげな顔とは一味違い、ひどく嬉しげで、このときばかりはティーダも反抗する気が起らなかった。
けれど、自分の不遇に対する溜飲が下がるわけじゃない。
結婚するのはいい。だけど何で自分を生んだんだ。泣きながら父を罵倒すると、父は何とも言えない顔でティーダの頭を乱暴に、ともすれば叩くように撫でつけ、最後にぽんと突き放す。その後の父はたいてい数日家に寄りつきもしない。
昨日もそんな口喧嘩をして、今日の朝食は一人で食べている。泣き喚いて腫れぼったい目を濡れた布で冷やす。俺、もう十五なのにな、と味気ない食事を行儀悪くつつき、立て膝で腕を支えながら窓の外の空を眺めた。濃い青がどこまでも続いている。外は活気づき、子供たちが走り回る音が聞こえて、若干感傷めいた気分になったが、それも束の間。
「よし!」
早々に片づけて、仕事の後は気晴らしにぶらぶらしよう。いつもより気合入れて仕事して、少し贅沢な食事をしよう。気になるあの子を誘って。
食器を流し台に突っ込んで、もう一度空を見上げ、窓を開け放つ。暖かな乾いた空気が流れ込んでくる。海風に少し砂っぽい臭いが混じっていて、郷愁を感じた。
何も吸血鬼だからと、全ての人が偏見に満ちた目でティーダを見てくるわけではないのだ。少なくとも仕事をくれる土木職のおやじたちや昼食をわけてくれるその家族は違うんだ。寧ろ風当たりは吸血鬼たちの方が強い。
ティーダは気分が上向いた勢いに任せて窓を力強く閉める。
扉を開けて外に出ると、近所の人は機嫌よく手を振ってくれた。普通の人間と変わらない生活をしていれば偏見が薄れることを、ティーダは経験として知っている。
ティーダは見かけが変わっているだけで、吸血鬼が使えるらしい能力をひとつも使えないのだから。
「うわっ、すんませんッス!」
賑わう人ごみの中を走ろうとするのはけっこう無理があるもので。勇み足だったティーダは案の定、一人の少女とぶつかった。よろめいて膝をついた少女は、この辺りではあまり見ない服装だった。ここよりもっと南の方から来たのだろうか。海に面したこの街は、船による交易も盛んで、様々な人種がいる。近頃は大きな時化もなく船が行き来しているため、特に人の出入りが激しい。
慌てて差し出したティーダの手を借り立ち上がった少女は、少し擦りむいたらしい膝を払って、にこりと笑いかけた。
「ありがとう」
(…あ……)
少女の目に、細長い瞳孔が二つ並んでいる。
ティーダがそれに気づいたのと同じく、少女もティーダの目に気づいたようだ。少女の瞳孔が一際細くなったのを見て、ティーダの心臓が激しく揺れた。
――視られた。
吸血鬼が扱う数ある異能の中で、最も手軽に使われるものが、催眠に類するものである。神経に深く作用し、記憶や思考を読んだり直接人を操ることができる視経侵攻(アイ・レイド)という、相手の尊厳を根本から奪う能力。
しかしティーダがおそれたのはそれだけではない。
吸血鬼は血統によって様々な弱点や能力が異なるが、彼らの思想には押し並べて共通点がある。それは、人間とは比べ物にならないほど、血統や年功序列を重く見ているという一点に尽きる。始祖により近いほど、吸血鬼として生きた年数が多いほど、血統では格が上になる。それは、他の血統も膝をついておもねらなければならないくらい厳密に守られている決まり。それだけ彼らが血を重んじているということなのだが、それゆえに複数の血統が混じった<混血>や人間と吸血鬼の間にうまれたダンピールはそれだけで蔑視の対象になる。人間の忌避など生温い。面と向かって死ね面汚しなどと言われるのだ。
かつて経験したたった一度が、何度となく向けられた人間の冷たい目よりよほど堪えた。
この少女(それは見た目だけで実はものすごく老年なのかもしれないが)もティーダを口さがなく罵るのだろうか。
少女はしばらくティーダをじっと眺めていたが、ふいに街の東を見て、ティーダを細い路地裏に詰め込んで鋭く叫んだ。
「逃げて!」
言ったきり、少女は壁に足をかけてひょいと高い建物の上へ登っていってしまった。
「…すげ……」
初めて間近で見た吸血鬼の並外れた身体能力を目の当たりにして、押し込まれて尻餅をついた格好のまま、ティーダは呟いた。ただの一歩では、さすがに運動神経に自信があるティーダでも建物を登ることはできない。
そのとき、地面が大きく揺れた。
路地裏から慌てて飛び出したティーダ見たのは、もうもうと土煙が立ち上る東区画だった。そちらから逃げ出す人の勢いで、ティーダの中途半端に出ていた体は押し戻されてしまったが、逃げ惑う人々の喚声の中に確かに 「吸血鬼が…」 という声が混じっているのを聞いて、急いで暗がりに座り込んで頭を抱えた。
この街に吸血鬼が存外いることは皆もある程度黙認している。けれどそれは快い受け入れではない。被害が深刻ではないから街に置いてもらっているだけである。この騒ぎに吸血鬼が関わっていたら、間違いなくティーダたちまでとばっちりでこの街にいられなくなってしまうかもしれない。最悪、関わっていなくても、今まで不満を貯め込んでいた人間が水を得た魚のようにうるさくなる。ダンピールだろうと吸血鬼だろうと、人間ではない点で一緒にされてしまう。
ああ嫌だ、何もしてないのに!
じわりとこぼれた涙は、拭っても止まらない。こういうとき、からかってくる父の腹が立つ声が聞けたなら、どれだけ安心するだろう。肝心なときにいないなんて、本当に役立たずめ!
「おい! 大丈夫か!?」
「うえ?」
「早く逃げるぞ! 向こうからどんどん建物が倒れてるんだ、ここも危ないから!」
「何なんスか、一体」
「よくわからん!」
暗がりから手を引かれて引っ張り出されたティーダは、自分の手を引く少年の髪の眩しさに目を細めた。
純銀のように鋭い色が陽光を受けて刃物のように光っている。銀が嫌いな吸血鬼の血が騒ぐのか思わずたじろいだティーダに、前を行く同い年くらいの少年が振り返る。髪の冷たい色に反して、よく日に焼けた褐色の肌の少年は、ティーダを安心させるように笑った。
「とりあえず安全なところに行こう。大丈夫だから」
ずびっと鼻をすするティーダの頭を軽く乱雑に撫でた少年は、再び率先して走り出す。なぜか父の面影がちらついて、ティーダは声をあげて泣きながら後について走っていった。
自分はダンピールだとティーダが明かすと、フリオニールと名乗った少年はずいぶん複雑そうな顔をした。
話を聞いてみると、吸血鬼はそもそも生殖手段の一切がなく、子供を作る以前に相手を吸血鬼にしてしまうため、吸血鬼と人間の間に子供を設けられることは本当に稀なのだそうだ。ダンピールの数の少なさ故に、吸血鬼からの弾圧に何もできず歯噛みする者もいるのだとか。
「…フリオニールは、人間なんスよね」
「ああ」
「それにしちゃ、色々知ってるみたいッスね。…俺らとか、吸血鬼のこと…」
「ん…まあ、な」
歯切れ悪く、視線を泳がせてから、フリオニールは俯いてため息を吐いた。
「教えてもらったんだ…その、吸血鬼に」
「教えてもらった?」
「何ていうか、その……ちょっと色々あってさ。教えてくれた吸血鬼も、別の吸血鬼から教えてもらったって、言ってたかな」
「フリオニールは吸血鬼のトモダチがいるんスか?」
ただでさえ両者の確執が深い種族同士なのに。ティーダが飛びつくように尋ねると、フリオニールはあからさまに安心した様子で苦笑し、首を傾げた。
「どうかな。友達とは違うかもしれないけど、大切な恩人だ」
「ふーん…吸血鬼にも、いい奴はいるのかあ」
そんな吸血鬼に今まで出会えなかったのは、とんだ不運ということだろうか。正直な話、フリオニールの恩人とやらのような気質を持った吸血鬼の方が圧倒的に少ないのではないか。
父も含め荒くれた者しか知らないティーダには、半ば眉つばな話だ。
仮に人間には良くしてくれても、ダンピールにはどうだろう。己の血をとかく重く見る彼らは、血統を汚したようなダンピールにすら寛容になれるとは思えない。
「さて、勢いで街の外まで出てきたが、ティーダ、お前これからどうする?」
街は遠い。しかし、まだ煙が上がっている。
自ら痛い目にあいたくない口実かもしれないが、吸血鬼の父から自立できるちょうどいい機会かもしれない。もし疑われているのなら、このまま姿を眩ませれば二度とこの街に帰ってこられないのだろうけれど。
ティーダはフリオニールを見た。
あの災害から見ず知らずの自分を助けてくれたこの少年が、悪人のようには見えない。
「め、迷惑じゃなきゃっ、俺、フリオニールについていきたいッス!」
(091031)