※本編18話のネタバレを含みます。猟奇的表現あり。







「あっ、ああ、あぁあああぁああ!」


斑鳩内のゼロの私室で、戸惑ったようにカレンと様変わりしたC.C.が立ちすくんでいた。両目から憚ることなく涙が滂沱としてその青褪めた白い肌を流れ落ちる。その様をロロはただ見ているしかできない。
いつも気丈に振る舞っていたゼロが、ルルーシュがここまで取り乱し、子供のように泣き叫ぶ姿は出会って以来終ぞ見ることはないとどこかで思っていた。彼だって人間なのに。
まるで嵐が吹き込んだかの如く部屋は荒れている。体力のないルルーシュにこうまで部屋を荒らさせた激情はまだ過ぎ去る予兆を見せず、しかし暴れる力はもうないのか、今は空疎な慟哭を暇なく浪費するのみであった。いくら防音施設とはいえ、いつ何時団員が訪れるか知れないというのにそれを諫める気さえ起きないのは、ひとえにルルーシュがどれだけあの眩い光の球に散り消えた妹を想っていたかを知っていたからに他ならない。


「ナナリー…っ、ナナ、リー…っぁ!」


ゼロを生み出した理由そのもの、あの子が脅え隠棲する必要のない、争いのない世界を作ることが、ゼロの行動の根底にあることを、痛いほどカレンは知っている。いつか笑って暮らせたら。ナナリーが総督という道を選んでからは、せめてナナリーの手を煩わせたり害が及ばないようにと死力を尽したルルーシュの思いやりを、知っている。
なのにこの仕打はあんまりだ。


「う、ぁあ…っ、っあぁあ!」


ロロは投げつけられた携帯電話を拾って、開いたロケットをそっと閉じて胸に抱いた。
蜃気楼でナナリーの声を切望していたあの虚ろな声はない。その代わりに、抗いようのない絶対的で理不尽な力を前にして、自分の無力を叩き付けられたやりきれなさに潰されようとしている兄(例え血も繋がっていなくて、それどころか家族と見られていなくとも、ロロにとってルルーシュは大切な家族でただ一人の兄だった)は瓦解寸前の積み木のように脆い。
投げつけられた携帯電話や心を刻みつける言葉は痛かった。けれどルルーシュのそれは決壊して破裂した癇癪玉と同じで、裏切られた胸の痛みはないわけではないが、それに裏切られたと私憤を抱くよりも憐れみを抱いた。
心の支えにしていた大切な妹は、形見を残すことすらなく古くから仕えてくれたメイドと共に死に絶え、過去には類を見ないほど親しくしていた友人を信じることができず、唯一何もかもさらけだせた共犯者は傍にいるものの、その記憶をなくしたままだ。彼は本当の意味で孤立した。


「いやだ…いや、だ…っ!…ナナリ…!なんで、なんでお前が……っ」


頭を抱え何からも背を向け拒むように体を縮こまらせるルルーシュの姿に、今度ばかりは平手ひとつでどうこうなる話ではないとカレンは痛感した。ナナリーが残滓のひとつも残さず消えてしまった事実を悲しんでいるのはお前だけじゃない、と喝を入れて、それで立ち直るような浅き傷であれば良かった。以前だって何だかんだと悶着を起こしたが、あの時はひとまずナナリーが生きているという決定的な違いが横たわっていた。


「俺が、…俺のせいで……っ」
「…っ、兄さんのせいじゃないよ!枢木スザクがフレイヤを撃ったから…!」
「スザクにギアスキャンセラーを施さないまま殺そうとすればギアスが発動する!スザクの手元にはお誂え向きな大量破壊兵器があった!気付かなかった俺の落ち度だ!ナナリーは俺の、俺のせいで……っ……咲世子まで…っ!俺が殺したようなものだ!」


驚いた。あれだけ感情的に喚いておきながら思考に置ける冷静さは一縷も欠いていない。ルルーシュがその能力を疎もうが否が、彼はいつでも頭の隅で冷徹に物事を見極めている。頭領たる資質を備えている。そのことはカレンの顔を皮肉げに歪ませた。


「全てギアスが引き起こしたことなのか…っ。これも結果だと、俺に背負えというのか…っ!」


ゼロを作り黒の騎士団を作った理由さえもなくしてしまうのなら、ならばこんな力などいらない。
低く呟き、おもむろにルルーシュは指先を瞼に持っていく。毟るように左目を抉り出そうと躍起になるルルーシュの腕を抱えるようにして止めたのがかつてルルーシュにその忌まわしき力を与えた魔女であったのは、どこか滑稽な絵図だった。


「お止めくださいご主人様!」
「うるさい放せ!お前が、お前がこんな力を俺に寄越したから…っ、ナナリーが…、ナナリー!」


覚えていない当事者に言ったところでその喚声は飽くまで不当なままだ。感情論よりも効率性を説くルルーシュにしては珍しい。
いくら体力が救いようのないほど底を行くルルーシュでも、単純な力だけなら純粋な少女に劣るべくもない。指はこれ以上ないほど従順に、正確にルルーシュの左目を抉った。


「あっ、ああぁ!」


悲鳴をあげ、眼窩から血が吹き出ても、ルルーシュは眼球を抜き取り、執拗に握り潰した。誰もがそれに打ち消されない悲鳴をあげた。


「兄さん!」
「ご主人様!」
「ルルーシュ!止めなさい!」


カレンが慌てて左手を押さえるが遅く、ルルーシュの目は回復のしようがないほどに潰されていた。ゆっくり手を開かせ、ぐずぐずに形が崩れた血だらけの目に唇を噛み締める。


「なんてことを…」


C.C.はルルーシュをその腕に抱いて泣いていた。あの剛毅で尊大だった彼女の泣く顔を見ても、思うところは何もない。
C.C.の腕の中で、脂汗の玉が浮かんだ顔半分を血に染めつつも、ルルーシュはくつくつと虚ろに笑った。


「これでもまだ俺は…」


続く言葉をカレンが理解することはない。ただ知っていることは今まで歩いてきた彼の人生は凄惨だったということだけ。そしてこれからもその凄惨さは変わらないのだろう。
極度の疲労憔悴と失血で気を失ったルルーシュの顔を、ロロが甲斐甲斐しく濡れたタオルで丁寧に拭っていく。手非道い言葉を投げられたにも関わらず、以前と変わらず、以前よりも慈しみを持ってルルーシュと接するのは、無二の妹を失い立てなくなった兄を哀れんで、だろうか。


「ご主人様…」


ルルーシュの頭を抱えて、C.C.は静かにそれを見ている。
理由も意義も見失い、片目を抉り取った人間にまだ自分たちをまとめあげて欲しいなどと要求することは酷かもしれない。けれど向こうはこちらの都合に合わせてなどくれないのだ。彼は責任を取らなければならない。それこそブリタニアを討つと言った、日本を還すと言った自分の言葉に。


「何これ…」


ロロの言葉にカレンはルルーシュの顔を覗き込んだ。
血に隠れていた素顔は依然青白いままだが、左頬に火傷か打ち身のような痣が浮かんでいる。鳥が左右に羽を広げたその形は自然にできたものにはどうしても見えず、何故か禍々しいとさえ思えたカレンは無意識に自分の腕を撫で擦った。















傾城のまみれメサイア
(嗚呼、なんということだろう!この身は罪の業火に焼かれることすら生温い! )




(080811)